· 

着眼点と市場

色々なアイデアを常にインプットしておくことは、とても重要なことだと思う。先日も長野県でやられている仕組みに興味を持ち見学させていただいてきた。その場所でお話を聞き次にいってみることにしたのが「リビルディングセンター」というお店。ここに実はまったく知識もなく訪れたのだが「え?こんなの売れるの???」と思うような扉や扉、まして梁なども部品も陳列されて売られていた。 

 

しかも、いいお値段がする、しかし一体これだけのもの どこから出てくるのだろうか?

長野県の諏訪にあるこの場所、そういえば伊那に行った時も同じ感覚をもったお店があった。長野県というのはこの手の古い建築物がたくさんあるのだろう。これも地域性なのだと感じたがあたっているか否か。

 

伊豆で考えてみれば、なかなかこの手の扉やガラスを集めるのは大変だろうなと感じた、しかし確実に「持っている」人はいて使い方はわからず捨ててしまうことの方が多いだろう。逆に欲しい人のニーズもきっとあるのだろうと思った。実際土曜日という事もあるのだろうが駐車場のナンバーを見ると「多摩」「品川」「横浜」「八王子」と関東の車もあれば地元ナンバーもあり、この手のアンテナの高い人が訪れていることがわかった。階段で上がると「鏡」のフレームを自分で作るワークショップを開催していた、これも古い材質のものを組み合わせて作っていた。

 

仕事で普段携わっているからこそ「見える市場」があって そこに着目し行動するというのはすごいんだなと改めて感じた時間でした。皆さんもお時間があれば一度行かれてはいかがだろうか、このビジネスをということではなく 自分の当たり前は人の当たり前ではないんだなということを実感する時間を得ることができるのではということで

 


 

 

学校で使っていた椅子はひとつ「2000円」で販売されていた。この椅子、統廃合で使われなくなった学校にあった気がする。単純におもっことは「必要としている人」には価値があるということだ。そういえばメルカリの社長も同じようなことをインタビューで言っていた気がする。自分は価値がないと思っても人には価値のあることがある ことがあると

 

 

 

 

この、ただの扉も「え?」と思うような値段がついていた。普通なら捨ててしまうようなものにも価値をつけている。そういえば以前、熱海の市来くんのところで茶を飲んだ時にテーブルが「扉」だったことを思い出した。 これどうしたの?と聞いた時に 前に何かで使っていた扉があって それもったいないから足をつけてテーブルにしてみたと言っていたのだけど、アイデアだな〜と思っただけで それ以上は自分で何かをしようと思わなかった(実際器用ではないから・・・) しかし、すごいな、